奈良時代以降

古代の日本における刺青の習俗が廃れるのは、王仁および513年百済五経博士渡来による儒教の伝来以降と考えられ、以降の律令制の確立とともに刺青は刑罰としての入墨刑に変化した。

一方では、律令制の確立と密接な関係を持つ遣唐船の乗組員達に刺青の習俗があったとされ、後に発生した倭寇集団もまた刺青を入れていた事が知られており、海上交易や漁撈を生業とする人々の間では、呪術と個体識別の用途から、広く刺青が行われていた事が知られている。

このほかにも蝦夷隼人といった人々や、儒教と対立した密教の僧侶によって、刺青の技術が継承された。

また、戦国時代には死を覚悟した雑兵達が、自らの名や住所を指に刺青で記す個体識別目的の習俗があったとされる。


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